野田凪 アートディレクター|インタビュー
ラフォーレ原宿シーズン広告のアートディレクションについて
2002年12月取材ラフォーレ原宿との始まり
ラフォーレ原宿のシーズン広告は2000年のクリスマスからやっています。春、秋、クリスマスとあるので今回で7回目。その前からラフォーレの年賀状を3年間作っていたのですが、担当の方からある日、「クリスマスやってみる?」と声がかかって、「あっ、やりたーい!」って。女性がターゲットなので、女の子っぽい感じのイメージで作っています。ラフォーレの持つユーモアとファション感を結びつけたぐらいをベースに考えて。ラフォーレは大学の頃から一番やりたかった仕事で、今本当にやっているんだと、たまにうれしくなります。大事にしている理由です。
イメージは若草物語の世界く
今年の秋の広告には四人姉妹を登場させています。若草物語のイメージに近いですね。10代から20歳くらいの姉妹の設定です。閉じこもっていて、もう4人だけの世界。一番上のお姉さんは、男の子に振られてすごい失恋をして、それ以来、外が大嫌い。それで、妹たちも外へ行かせないようにしている。次女と三女は、外の世界に興味があって、三女は夜こっそり遊びに行ったりしていろいろ知っている。一番下の子はとにかくお姉ちゃんの言うことを信じている素直な子。テーマや設定は私が考えて、CMのストーリーやセリフは安藤隆さん。私の父ぐらい年齢は離れているんですけど、ハイブローな人で、感覚が近いし、すごく尊敬しています。
モノクロの世界を作る
ラフォーレってすごくカラフルな印象がありますよね。モノクロのビジュアルそのものは目新しくはないけれど、ラフォーレでそれをやったらちょっと目を引くんじゃないかなと思ったんです。ただのモノクロじゃつまらないから、実際にモデルや服やセットをモノトーンで作りました。ラフォーレに来る子たちのような派手な服がモノクロになったらって考えたんです。そうしたら、幅の広いグレーの世界なんだろうなと思い、いろんなグレーに染めました。実写のモノクロの世界っていっても、メイクもお化けのように恐くなってしまうのではという心配があって、事前にテストをしました。撮影中も、メイクが崩れないように出来るだけケアしていきました。
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こだわりゆえの苦労
スタッフもみんな大変だったと思います。ゴマやイカスミで黒い食べ物を作ったり、服もオリジナルでデザインし、きれいな色のドレスを完成させてから、漂白してグレーに染めました。デザイナーの中川さんには1ヶ月半ぐらい、会社に来ないで、ポラを持って、朝からお店が閉まるまで、モノクロの小物探しに走ってもらった。食器から部屋の小道具から全部。徹底的に探しました。ものすごい量のポラになりましたよ。白じゃなくてグレーのお皿がいいとか、どういうメニューにするかとか、もっと簡単にすればいいのに、結構こだわってしまうんです。例えば口紅1個にしても形から全部探して、いっぱい集めてきてこれにしようとかやるから。周りが嫌になりますよね(笑)。
撮影現場でもどんどん変えてしまいます。ホント変えまくる(笑)。だからやっぱり、仲良しで面白がってくれるスタッフとしかやれないんです。「なんでこんなことやるの?」なんて言う人だったら、その時点でもうダメ。たとえばフォトグラファーの内田将二さんはこういうのをやりたいと言うと、どうやったらできるだろうと一緒に考えてくれるし、スタイリストの伏見京子さんも「信じられない!」と言いながらもやってくれるんです。26歳ぐらいまでは自分がADで年上の人と一緒にやっていくのは難しかったですね。この2年くらいで、少しやりやすくなってきました。スタッフには30代が一番多いんですが、みんなノリとか感覚は若いですね。私が仕事をしていて楽しいのは、現場で作り込んでいざ撮影というときに、それをみんなが見て「ワッ!」って驚く瞬間。普通の生活の中では絶対体験出来ないような、結構ショックなビジュアルをスタッフ全員が目に出来る瞬間が一番面白い。そういうものをどんどん作りたいんです。
それぞれの場所で学んだこと
I&Sにいた時にADの今永政雄さんや、秋山具義さんは、本当に自由にやらせてくれて、この仕事を楽しい仕事だと思わせてくれました。その2人との最初の出会いがなかったら続けてなかったかもしれません。イラストレーションをずっと描いていたんですが、この頃は特に、描いた絵を人に見せてるとみんなが喜んでくれたので、それにはまっていましたね。大貫卓也さんの事務所には7ヶ月しかいなかったのですが、憧れのADだし今でもばったり会うととても緊張します。大貫さんにはこだわることが素敵なことなんだって教わりました。大貫さんを知らなかったら、ここまでこだわってやっていなかったかも。それから今のサン・アドに来て、葛西薫さんにデザインや文字のことなどをきちんと教えてもらいました。それにサン・アドは本当にモノを作るのが好きな人たちが集まっている。みんな優しいから、キリキリと怒っていたりしているのは私くらいなんですが(笑)。今は毎日会社に行くのが本当に楽しいんです。
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1973年東京生まれ。女子美術大学芸術学部造形計画デザイン科卒業。I&S、大貫デザイン、サン・アドを経て、2003年デザイン集団宇宙カントリー設立。海外ではミシェル・ゴンドリーやトラクター等が所属するロサンゼルスのPartizanに所属。2007年ファッションブランド「broken label」を設立。アートディレクター、映像ディレクター、アーティストとして活躍。LAFORET、NIKE、サントリー、KOSE、LG、Coca-Colaワールドキャンペーンの広告や、「ハチミツとクローバー」のオープニングタイトル、YUKI、宇多田ヒカル、スネオヘアー、TIGA、Scissor SistersなどのCDジャケットやミュージックビデオを制作。広告キャンペーン、ショートフィルム、グラフィックデザイン、プロダクトデザイン、洋服のデザイン、パッケージデザイン、装丁まで幅広く手がける。アートワークとして、コンテンポラリーアートの展覧会やインスタレーションも行う。「ハンパンダ」の生みの親。ADC賞、TDC賞、JAGDA新人賞、グッドデザイン賞金賞、NYフェスティバル銀賞、NY ADC金賞、銀賞、NYTDC賞、ACC銀賞、カンヌ国際広告賞ブロンズライオン賞など数々の賞を受賞。2006年2月野田凪展(ギンザ・グラフィック・ギャラリー)、2006年4月野田凪展(パリ コレット)。2008年9月7日逝去、享年34歳。